ベタニアの仕事・創立者ヨゼフ・フロジャク師
昭和2年のことでした。東京市療養所に一信者の見舞いを始めたのが機会となり、毎週曜日を決めて見舞いをしたのでありますが、いつしかこれら患者の事情を深く知るにつけ見過ごしできぬようになり、ついに療養所に程近き丸山町に一民家を借り受け患者の世話を始めたのであります。
これは昭和4年のことでした。一度小さいながらもその仕事に携わってみれば、次第に希望される方も多く、昭和5年には現在のところにベタニアの家を建て、昭和7年にはナザレットの家を建て、患者の子女をも世話をするようになり、援助くださる方もあって、清瀬村にベトレヘムの園の開設、子供らのために東星学園の新設と、次々に必要に迫られるままに事業を拡張し、遂に現在では、患者350名、子供150名を世話をするに至ったのであります。
事業の発展に伴い事業組織のことも必然的に考慮せらるるに至り、遂に本年4月財団法人となり、名称もベタニア事業協会より、慈生会と改めたのであります。天主の摂理のままに次第に成長してきたこの慈生会は、み主のみ旨を体し、カトリック精神を以って、国のため、病める人々のために、奉公致したい望みであります。この事業のために、邦人姉妹会の誕生となり、昭和11年10月17日には修道院の落成、昭和12年6月4日にはベタニア邦人姉妹会の名において正式に姉妹会の創立を見るに至ったのであります。この修道女たちは天の愛を黙想しつつ、この仁慈の事業にその生涯を捧げる固い決心を持っているのであって、彼女らにとっては、事業目的達成のためにいかなる物質的困難も肉体的疲労もその意図を挫折せしめることはないでありましょう。
以後この「瑠璃草」誌上に掲載する記事は、主として私の姉妹等に携わる人達にした講話の抜抄であります。
多くの社会事業はその事業の創立者が亡くなると事業の継続は困難となり、よし、その事業はそのまま存続したとしても初めの精神は途中で変わり易いのでありますが、幸い慈生会はカトリックの事業なるため、人は変わるもその精神は常に変わることなく存続するでありましょう。慈生会の働き手である邦人姉妹会の修道女たちはこの事業当初の精神を受け継ぎて、御主の命令に従い、患者、老人、子供の実の友となっていくことを希望いたしております。
生めよ増えよと肉体的にも精神的にもこの仁慈の益々多くの実を結び、苦しむ人には愛と犠牲とによって立派な効果をお国のため、はた人類のために挙げ得るように・・・。
昭和18年8月『瑠璃草』巻頭言より